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郡上のルーツ 白山文化と拝殿踊り|REPORT vol.12-1

〜郡上の踊り助平と音頭とりがやってくる!伝統と愉楽の源流域へ〜。

>>>後編はこちら 

座談会「私が出会った拝殿踊り」REPORT vol.12-2


◉はじめに


郡上の集落に最も多くまつられる白山神社。その神社のご縁日(お祭り)の夜には、日中の神事や神楽とは打って変わって、切子燈籠が吊るされた境内の拝殿に、下駄を履いた老若男女が集うことで「踊りの場」が立ちはじめます。


白山神をまつる本殿に供えられたお神酒(おみき)や神饌(しんせん)がお下がりとして振舞われるなか、地元の衆と他所の衆が歌名乗り(自己紹介)をすることで踊りの輪をつくり、音頭(歌)をとりあい、合いの手を入れ、下駄の音を打ち揃えては、「拝殿踊り」を時に夜通しで楽しんだのです。 このたびの郡上藩江戸蔵屋敷vol.12では、この「拝殿踊り」を生み出した「白山文化」に学びながら、江戸に踊りの場を現出させる会を催しました!


早速、当日の模様をお届けします。


今年に入ってから、司会の井上さんは踊りながら入場するというのがパターンになっていますが、今回は果たして?




・・・はい!今回もその期待を裏切ることなく唄いながらの登場となりました。早速はじまったのは、「場所踊り」と言われるもの。郡上では白山の神様や土地の神様、ご先祖様を今自分たちのいる場所に迎えることを「バショを下す」と言います。つまり、これによって、今日の会場である、もうひとつのdaidokoroにもバショ、つまり拝殿ができたことになります。唄によってその空間を拝殿にしてしまうという場面に参加者の皆さんにも立ち会っていただきました。





それでは、本編に入って行きましょう。改めまして、今回のテーマは「拝殿おどり」。ですが、単なる“踊りの練習会”ではありません。祭りの“やわい”から始まり、白山の恵みの食べ物や飲み物をいただきながらバショおろしをさせていただいき、拝殿踊りで終えるという、「神人饗応」を感じてもらいたいと思います。


◉ 祭りの“やわい”:出花(だし)の花づくり




“やわい”というのは、郡上で「祭りの準備」を指します。今回は皆さんに、拝殿に欠かせない出花(だし)の花を作っていただきました。ちなみに拝殿踊り以外でも、郡上では秋や冬といったお花の咲かない時期に行われるお祭りのときに、切紙による手仕事でつくられたお花を飾るそうです。



お花の種類は野に生えているものばかりで、農村文化の素朴な彩りが詰まっています。


カラフルな色紙を使って、キキョウの花型を作っていきます。慣れていないと形を作るのは難しいのですが、皆さんどうでしたか?


ウメ・キク・あさがおなど、いろいろなお花ができてきました。手で作っていくって難しい!




お花ができたら、そこに下げる札に感謝の言葉を書いて、完成。順次、ススキに飾っていきます。どの出花もひとつひとつ個性的でステキでした。なにより、みなさんで和気あいあいと楽しそうでした。



◉白山文化講座 〜水の恵みの源流域へ〜

講師の井上さんによる、郡上一帯に広く信仰される「白山信仰」について学んでいきます。郡上の方々にとって白山とはどのような存在なのでしょうか。そして、拝殿踊りとはどのようなつながりがあるのでしょうか。


白山は、木曽川・長良川・揖斐川という「木曽三川」の水の源流に位置します。このおかげで、肥沃な土地を持つことができ、ありとあらゆる農作物が作られていました。


「ここの人にとって水というのは、恵みになることもあれば災害になることもある、非常に不安定な存在でした。そのため、いかに水の神を鎮めるか、そしていかに神に感謝するのかが彼らにとってはとても重要だったので、その意味でも白山参りはとても重要な行事でした。」

「白山信仰」は修験者と庶民に信仰された水の恵みへの祈りであったので、その対象である白山へ参る行為は、お百姓たち庶民が水の恵みに感謝を表すためのものであったのですね。


「私も2年前に、石徹白大杉から白山を登りました」私も2年前に、石徹白大杉から白山を登りました

と、井上さん。白山山頂まで行くには、銚子ヶ峰・一の峰・二の峰・三の峰、別山といった幾つものピークを、2日間もかけてこえていかなければなりません。


峰々全部を舐めながら辿って歩いていきました。1300年前に先達・泰澄の歩いた巡礼の道を、今、私も辿っているんだ!と、ずっと感動していたので、登山中はあまり大変と思わなかったです。


◉ 神と人が宴で交わる「神人饗応」



人間が生きる上で必要である。水の恵みや山の恵み、海の恵み。それらへの感謝はどのように表現したらよいでしょうか?当時の人たちは、「神と人とが共に歌い語らい踊りあうこと」こそが、神への最たるもてなしだと考えたようです。そうして神と人との結びつきを強めていきながらも、だんだん人と人とが共に楽しめる歌や踊りといった「芸能」が生まれ、発展してきたのだといいます。


その例として、毎年1月に長滝白山神社で行われる「六日祭り」が紹介されました。


六日祭り」では、神へのもてなしである「延年の舞」が奉納されます。これは1300年続く厳粛な神事です。


その厳粛な舞をやっている目の前で、大衆は「花奪(ば)い祭り」という大衆芸能をやります。大きくて豪華な花を拝殿の天井に下げ、人が櫓を組んで、花にかぶりついて引きちぎって落とします。これが欲しいがために何十人の男たちが血を流しながらの大喧嘩しながらこれをやります。

神事と芸能が同時に執り行われるカオスな時間が過ぎ、終盤になると「延年の菓子台」が披露されます。


「大盤振る舞い」って言葉ありますね。これ、何からきているのかというと、神にお供えした恵みをお下がりとして人がもう一度頂くというところなんです。



菓子台には、山の恵みの干し柿とか、白山を模したお餅や、松が刺さっています。延年の舞の最後に、これらの餅をばんばん投げます。お餅を投げたら、拝殿からたたきに向かって、ちゃぶ台返しのように全部落とします。


まさに、「神人饗応」。



神へ食べ物をお供えして、その食べ物のおさがりを人が頂き、そのふるまいのあとに祝詞や唄を捧げて神仏とともに踊ることで感謝を表す。そうであるとするならば、拝殿踊りもまた同様に、神人饗応の代表的なかたちの一つなのです。




◉ 拝殿踊りに、なくてはならない2つのもの

拝殿という厳粛な場で、なぜ下駄で踊るのか、ご存知ですか?


例えば家を建てるときに地鎮祭という、土地の霊が暴れないように鎮める神事を行いますよね。拝殿踊りではそれを、下駄で踊ることで行っているのです。下駄をこすったり鳴らしたりしながら土地の霊を鎮める、もしくは神や仏を呼び込みます。

拝殿踊りには決まって「下駄でこい」と言われるのはそのためです。


「下駄ではないといけない」とは誰も言ってないのだけど、そうやって文化として継承されています。それが民衆の文化の面白いところですね。

拝殿踊りに欠かせないアイテムがもう一つあります。





「神や仏が寄り集まる目印としての、キリコ灯篭。今日もぶら下げていますが、これがなかったら拝殿になりえないのです。」

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座談会「私が出会った拝殿踊り」REPORT vol.12-2

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