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冬越えの暮らしをうたう| REPORT vol.14-3

〜私たちは先人に何を見て、どう受け止めたか〜


>>>前編はこちら

「郡上の冬越えの祈り・馳走・暮らし」REPORT vol.14-1

>>>中編はこちら

「冬越えのなりわい」REPORT vol.14-2


◉冬越えの暮らしをうたう


いよいよスペシャルゲストの登場です。石徹白から、鴛谷幸二さんがきてくれました。



鴛谷:今、ご紹介に預かりました石徹白に生まれて、石徹白で育ち、ちょっともう育ちすぎて・・・80歳になってしまいました。


井上:これ、80歳のギャグです。拍手お願いします(笑)


鴛谷: 今日は石徹白の唄などを歌ってくれんかってお招きいただきました。どうぞよろしくお願いいたします。それでは早速ですが、めでたい時は今でも郡上全体で歌われとる『伊勢音頭』を唄っていいですか。



伊勢参りというのが江戸時代非常に盛んになって、村から1人もしくは2人と若い人が集落からお金をもらって伊勢に代参していました。その時のお土産として「伊勢音頭」を持ち帰ってきたそうです。


鴛谷:石徹白というのは山奥ですけど、やっぱり一生に一代はお伊勢に参ってきたいというのが夢でした。今は、伊勢なら日帰りもできるかもしれませんが、昔は行って帰ってくるのは1ヶ月仕事だったからね。





次は、石徹白で唄われていた仕事唄の披露です。


焼畑農業で食糧を得ていた時代、秋は大忙し。幸二さんたちは渡り鳥に稗や粟を食べられてしまわないように、実がなったら家族総出で一生懸命収穫作業をしていたそうです。


鴛谷:農家の人は娘さんだけをお手伝いに呼ぶんです。娘さんだけを、10人ほどね。もちろんそのころは電話も回覧板もありませんよ。でも、どうにかそれを聞きつけた若い衆は、その娘さんたちを目がけてどんと押し寄せてお手伝いをしてくれた。


それが農家の知恵だったと笑う幸二さん。


鴛谷:昔の若い衆は娘さんを見ると高い声で「よーいほう」って呼ぶんですね。娘さんとの仕事を喜んでやっていた、そんな声なんじゃないかなと思っております。そんな喜びの声を、井上さんと唄わせていただきたいと思います。『夜搗き唄』です。



『夜搗き唄』


石徹白は、12月から3月や4月の中頃までは雪の中の生活。その間は田畑ができないので食料である米やそばを長持ちさせ、なんとか冬の間も家族にひもじい思いをさせずに、あったかいものを食べさせて元気をつけさせようと、いろんな工夫や知恵を働かせてきたそうです。


鴛谷:お母さんは家族を養わんならんで、唄いながら一生懸命石臼を引きました。早く引くと粉にならないんですよ。ゆっくりゆっくり石臼を回すことによって、だんだん、だんだん溜まってくるんですね。その粉をそば粉と混ぜたりして食べました。ぽよっとして美味しい団子のようなものができてね、冬越しをしたんです。


最後になりますが、そんな営みの様子を唄った『粉ひき唄』を唄ってもらいました。



『粉ひき唄』


田んぼ作業は多くの人手を必要とするので、力のある男の若い衆を引き付けるために、農家の人は娘に駄賃といって化粧品や、新しい作業着を買い与えていたという話は、石徹白ではよく知られた話。


鴛谷:「娘は田んぼでも化粧をしていた。だから、『石徹白美人』と言われてたんですけど、今はどこでも一緒ですよ(笑)」


井上:「それくらい、粉引きや田植えが男と女の出会う場となっていたんですね。ものすごく若くて華やかでエロティックでロマンな話の中に、この歌が歌いこまれている。それがいいところですね。


実際はとても厳しい石徹白の生活。しかし、こういう話を聞いていると、「生き延びること」の厳しさの中に、「より良く生きること」の実感や歓びを見出す工夫、他者や自然と溶け合うような知恵があった、とても豊かな時代だったようにも思えてきました。




幸二さん、ありがとうございました!


これにて生業、ご馳走を振る舞い、歌を奉納してもらった上りびとのセッションを終わりたいと思います。



◉お月待ち神事 〜米粉餅で九星とお月様をかたどる〜


それでは、旧暦元旦の唄い初めが終わりました。石徹白の上在所地区では、十七夜、二十三夜に「お月待ち神事」が行われます。その祈りのかたちを、これから受け継がれようとしている田中佳奈さんにご披露していただきます。




これは、石徹白でも上在所という神道の集落だけに受け継がれてきた神事。現在は、一軒一人のおばあさんしか続けられていないのではないかと言われている、希少なもので、米粉で作った9つのお団子をお月さまにお供えする神事です。


おばあちゃんから様々なことを教わっているという田中さんが、その中でも最も印象に残っている場面を教えてくれました。





田中佳:ある日、『自然信仰というのは自然“を”信仰するんじゃなくて、自然“に”信仰してしまうことをいうじゃないかな』って、呟いてらしたんです。


井上:日本語には自然(じねん)という言葉がありますね。自ずから祈りたくなると言われたんですね。有り難さの感が絶えない、そんな時に生まれるんですよね。

月を待つ気持ちっていうのは、実際僕たちの実感として失われているものがありますよね。


田中佳:お月さまに“自分たちを間に合わせる“。そうして待つというのが、祈らなかった現実がどれだけのものだったのかなというものを、住んで6年目で少しずつ感じるようになりました


井上:祈りというのは意味を求めるとどんどんわからなくなる。実際同じように感じてみることが必要ですね。そうして、なんとなくわかってくると思うんです。

せっかくなので、月を下ろす唄「バショウ踊り」を唄わせてもらいます。



門外不出のお月待ち神事を見て、そして月を下ろす唄を聴きながら、何を思ったでしょうか。厳しい冬を、12月、1月を乗り越える。太陽や月を待っては送り、待っては送り・・・そうして冬越えしてきた情景や人の暮らしをすこしでも想像するきっかけになったなら幸いです。


◉終わりに

会の最後は小さなグループになって、今日感じたことのシェアリングを行いました。






たくさんのコンテンツが凝縮された、ディープな会となりました。井上さんの言葉で、今回の蔵開きを締めくくりたいと思います。


「一年を通してどのように自然と関わってきたのか、という先人の知恵を受け継ぐことが、この生きる実感や歓びが薄らいでいく現代を「生き延びること」、ひいては「よりよく生きること」の方法かもしれません。
私たちを行きやすくしたはずの現代文明が、圧倒的に私たちを支え、生かしてきた自然やそれにまつわる時間軸を破壊するという自体の中で、こうした先人の生き方は、過去のものであったにも関わらず、この現代や東京で一たび伝承され、共有されようとした時、それは未来からのメッセージ、未来の生き方の提言となっているようにも感じます。」




これまで3年間、郡上藩江戸蔵屋敷でイベントをしてきましたが、今年度の皆さんとのご縁を元に改めて、郡上と江戸の関係の結び方を模索していきたいと思います。どうも、ありがとうございました!


>>>前編はこちら

「郡上の冬越えの祈り・馳走・暮らし」REPORT vol.14-1

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「冬越えのなりわい」REPORT vol.14-2

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