top of page

座談会「私が出会った拝殿踊り」REPORT | vol.12-2

上り人の皆さんに登場してもらい、それぞれの視点から拝殿踊りについてお話しいただきました。


>>>前編はこちら 

「白山文化と盆踊り」REPORT vol.12-1

(左から)井上さん、日置さん(拝殿踊り保存会)、森下さん(拝殿踊り保存会)、國枝さん(京都から郡上へ移住)、佐藤さん(東京在住、全国の盆踊りへ奔走される踊り助平)




テーマ:皆さんにとって場所踊りとは?

司会:井上さん(香川から郡上へ移住)


森下:僕の中では「尊い唄」です。


唄える人も限られていて、僕なんかは公式の場では唄わせて頂いたことがありません。拝殿踊り保存会の大先生がいつも場所踊りを唄われています。ゆくゆくは僕も公式の場で音頭を取っていけたらいいなという、憧れの唄です。




日置:私が子供のころは、本当に拝殿踊りが好きな人が5~6人集まってやる程度まで落ちぶれていましたけれど、私は子供ながらにその大人の世界が大好きで、踊り場に行ってこっそり大人のうしろから踊っていました。


そうすると、踊りの輪の中で年寄り衆がほっかむりしてて、何か面白楽しそうに唄ってるのですよ。笑いも聞こえるんです。耳を傾けながら聞いておりますと、けっこうエッチな唄文句をやっていることが、子供心にもよくわかるんですよ。そういう大人の世界を覗き見るのが大好きで、小さい頃から行ってました。



初めての拝殿踊りは、前谷白山神社だったという國枝さん。今でこそ、地域外からも噂を聞きつけて踊りにくるようになりましたが、当時は地元の人だけで踊られていたのだそう。



國枝:それぞれが音頭を奪い合って互いの唄をぶつけあう、ものすごくハイレベルなところにうっかり行っちゃったんです。「どうぞ上がってきて」と言われるんですが、膝がガタガタ震えて上がれない。



頑張って上がったらその瞬間に、「他所の若い衆 ようきてくれた~♩」という唄が交わされたそうで、國枝さんは「どうしたらいいかわからなくて泣きそうになった」と当時の心境を振り返りつつ、こう続けました。



國枝:やっぱり唄杯っていうのは洗練された社交術のひとつで、「相手を迎える、相手に話をふる、ダメだったらフォーローする」っていう型があるんです。


だからみなさんに、どうぞ来月の拝殿に来てくださいと言いたい反面、あの神聖な場を私たちがこれからも持つためにどうしたらいいかということを、この先こういう場で考えていかないといけないと思うのです。



佐藤さんが初めて拝殿踊りを体験されたのは、2013年の夏。どういうものか場所だけみておこうと思って寄ってみたら、日置さんをはじめ何人かが前夜祭的に練習会をやっていたところに遭遇したのだそうです。




佐藤:東京の者からみると、自分たちの唄だけで踊るっていうすごくプリミティブな盆踊りが残っていることがすごく衝撃的で、ものすごく興奮しました。



そこから、毎年のように拝殿踊りを楽しみにこられている佐藤さんですが、國枝さんと似た葛藤もあるといいます。




佐藤:観光客が増えたのはいい意味もあるんだけど、やっぱり地元の人が唄っている姿を大事にしていかないと、代々守ってきた雰囲気だとか風情っていうのが失われていくんじゃないかな。なので、唄を唄いたいっていう気持ちもありながら、唄で出しゃばってもいけないっていうジレンマも感じてはいます。




拝殿踊りが観光化しているという話を受け、地元の日置さんにマイクが渡ります。




日置:他所の方が拝殿踊りに参加する時は、在所の方へ懇切丁寧にご挨拶して伺いを立てて、それを認められて初めてやっと唄が出せるという、細かいやりとりがあります。


だから在所の方が場所踊りを最初に唄って、しばらくして周りを見渡して他所の人がいたらそろそろ唄ってくれと声かけをして、懇切丁寧なやり取りをしながら他所から来てもらった人に唄ってもらうという流れを唄杯といいますね。



井上:唄杯で在所も他所も自己紹介をしあって、白山を讃える唄や即興の唄を下していきます。ですので、盆踊りが誰でも参加自由というルーツには、拝殿踊りが他所の人を迎えるからなんでしょうね。そこから南下して伝わっていった郡上おどりも、参加踊りも参加自由というのがおそらく文化として育ったんでしょうね。



そんな、拝殿踊りの“マナー”があることを伝えた上で、自分の想いを話し始める日置さん。




日置:私の地元の前谷白山神社の拝殿踊りは一度完全に途絶えました。これは時代の流れで、地味な拝殿踊りよりもお囃子で賑やかに踊る白鳥おどりのほうがブームになっちゃったからなんですね。



子どもの頃の楽しかった経験から、ぜひ復活させたいと思った日置さんは「自分が唄を覚えればいいんだ」と練習を始め、唄好きを集り、唄の先生から今では忘れられた踊りも教えてもらって、ついに地元の前谷白山神社の拝殿踊りを復活させることができた。



日置:やはり最初は、地元の者だけで楽しむつもりでやっていましたけど、ある程度僕らも踊りや唄を覚えてできるようになると、もうちょっと人が来てもらいたいなと思い始めました。




井上:日置さんは今後拝殿踊りをどういうふうに続けていきたいのでしょうか?


日置:個人的には沢山の人にきてもらって、味わってもらいたいです。


拝殿踊りは先ほど言いました通り、誰でも唄ってもらっていいのです。決まりはございませんので、誰かが唄う、どちらかが取り合いをして負ける、そういう音頭の取り合いがあるのですけど。唄が本当に好きな人には来てもらいたいですし、踊りも踊ってもらいたいですね。



昔ながらのものを維持していこうという気持ちもありつつ、時代とともに変わっていくことも受け入れていきたいという日置さんの想いが響いてきました。





井上:僕が10年くらい前に初めて拝殿踊りに参加した時に、やっぱり今日と同じようにお神酒がふるまわれて、もしくはふるまいでいろんなおさがりを頂いたり、神事のあとに土地の人たちと直会というご飯を食べたりしました。


踊りだけじゃない、ご縁日・神事としてのトータルの場を体験したときに、いかに最後の拝殿踊りが魅力的に浮かび上がってくるかということを実感しました。


ぜひ、全体像も理解して体験してもらうと拝殿踊りに入るときの気持ちが違うんじゃないかなと思います。



◉ 拝殿踊り講習「バショ/ドッコイサ/ヨイトソリャ」


講師たちに導かれながら、いよいよ踊りの時間です!拝殿踊りは、白鳥踊りの町踊りと比べて大げさな踊りではなく、足だけで踊るようなイメージとのことです。下駄の音が大きいと音頭が速くなってしまうので、唄に耳を澄ませながら踊るのがポイントです。


拝殿踊りに一番重要な唄「場所踊り(バショ)」から始めます。


音頭取り・森下さんの音頭の美声に導かれながら、郡上より遥か離れたここ池袋に、拝殿を下していきます。






ちなみに、昔は場所踊りだけで一晩中踊ったそうですが、昭和の初めのころには完全に途絶えています。儀式的な踊りはどうしても難しく、明治時代に入ってからは、皆が楽しく踊れるものが流行ってしまったためです。拝殿踊り保存会としてはなるべくかつての形を継承するバショ踊りをとっているそうです。



「ヨイトソリャ」は踊り子たちがリレーのバトンのように次々と唄を繋ぐ曲です。


唄のはじまりの文句。「ハァーわしが出いても 合わせまけれど 合わぬところはーヨーオイ御免なさりょ」



唄杯で、別の方が返しの文句を交わします。「ハァー合わぬどころか よく合いました いつも頼むぞーヨーオイその声で



即興で人から人へ代わる代わる唄が繋がれていく様子ははじめて体験された方は新鮮なようでとっても興奮されていました。


誰もが自由に唄っていい拝殿踊りですから、唄はまちがえちゃっても大丈夫です!


途中で唄を忘れて「あれれ?」と詰まってしまうと、輪の中から自然と笑いが沸き起こりました。

この懐の大きい雰囲気が、拝殿踊りの良いところです◎




「ドッコイサ」は拝殿踊りの中でも一番難しい踊りだと思いますが、みなさま上手に踊られていました!

隣の方の肩に手を乗せて踊るのも面白い所作ですね。







参加者の中には下駄を履いている方も多く、それが鳴る音がよく響いて、会場は本場の拝殿踊りの雰囲気が醸し出されていました。


唄の中には場が盛り上がるエッチなものがあったり(みなさま、ずいぶん食いつかれていましたね…!)



「ドッコイサ」では好きな女性の隣をマークして肩に手を乗せていたこともあったなど、拝殿踊りは今も昔も、男女の出会いの場として大事な役割を果たしているようです!




◉ まとめトーク 伝統と愉楽の源流域へ



森下:昔は女性はそういう場に行くのはハレンチなことだということで、わざわざ手拭いをかぶって顔を隠して踊っていました。男性はそんな女性たちに声をかけては輪を離れていき、どんどん人が少なくなっていく。最後まで真剣に音頭を取って残った人が少なくなって輪がほどけるそうですが、まあ僕みたいな人が残ってたんでしょうけど(笑)。


神様や先祖の霊をうたい上げる意味もありますけれども、昔は車もないので山を越えて歩いてまで、女生徒の出会いを目当てに歩いたとききます。下世話な歌もその名残というか、女性にアピールしていたんではないかと。


井上:かつては拝殿で音頭取りに隣村まで行って、村の女の子をひっかけて、夜にゴニョゴニョして帰ってくるっていう文化があったということを、暗に教えてくれる人もいますよね(笑)


堀:僕もちょっと質問があるんですけどいいですか。


今日の江戸蔵屋敷に非常にたくさんのお酒を持って、絶対余ると思ったんですけど全部なくなっちゃったんですよね(会場爆笑)。これはどういうことなんでしょうかという質問です。




井上:やっぱりさっきのエッチな話とか、お酒もそうなんですけど、ご神事での狂うとかさらすとか人と男女が一つになるっていうのは一体なんですよね。お酒も呑めば呑むほど踊りに響が入り、踊りに響が入れば入るほどお酒も呑むっていって、本来は分断されない繋がっている一体のことなんです。


普段は居酒屋とかクラブとか分けがちなんですが、お酒を呑む場と神事をする場と踊る場は一体なんです。だから今回もお酒が切れなかった。


堀:じゃあみなさんは、かなりの踊り助平の素質を持った人が集っちゃったということでいいですかね。


井上:踊り助平がやってくるって、みなさんのことだったってことですね!








◉ さいごに

最初にお伝えした通り、今回のテーマは「拝殿踊り」でした。


普段踊りに来るだけでは気付きにくいですが、今日の一連の流れを通して、「踊り」を構成するものはそれだけではないということにお気づきいただけたのではないでしょうか?


踊りが先にあるのではなく、まず、神事やご縁日がある。そこで、神さまにお供えしたお下がりを頂く直会(食事)を経てはじめて、神と人が交流する唄や踊りがはじまる。拝殿踊りというのは、「神人饗応」という文脈なしには語れないのです。


また、みんなでお祭りの準備をしたり神事をしたりご飯を食べたりするコミュニケーションも踊りには重要な要素なのだなあと感じて頂けましたら幸いです。それがあって郡上の唄と踊りの文化が根付いているのだと思います。


郡上に限らず、こうしたお祭の形は、日本全国にそれぞれ郷土固有の信仰と形として受け継がれていて、ご自身の住まわれている土地にもきっとあるはずです。


自分たちの恵みがどこから来ているのか、ご先祖様の想いはどういうものだったのかということを知るとおのずと大事なものが見えてきて、生活が広がって豊かに楽しくなっていくのではないでしょうか。

踊る理由は、神への感謝でもあるし、普段の周りの人々との関わりへの感謝でもあるし、なにより自分が楽しく生きる知恵なのだと思います。その気持ちを忘れずにこれからも踊っていきたいです!




>>>前編はこちら

「白山文化と盆踊り」REPORT vol.12-1

bottom of page